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近大通信司書

児童サービス論02

子どもの読書の意義を(できれば体験を交えて)述べてください。

 

 「子どもの読書」とは、一般的な読書、つまり「書かれた文字を自分の目で追っていく」という行為に加えて、誰かに読んでもらい内容を理解する「耳からの読書」をも含むものである。文字の習得がまだ不充分である子どもには「耳からの読書」が次の一人読み読書の基盤作りとなるからである。

 子どもは、耳からの読書、一人読み読書のいずれの場合においても、言葉を手掛かりにしてイメージを浮かべ、たくましい想像力で本の世界に入り込む。その世界を体験したかのように主人公や登場人物になって考え行動し、喜怒哀楽を味わう。

 これが感動となって子どもの心を揺さぶるのであり、この感情の起伏の振幅が大きければ大きいほど強く心に残る。子どもの場合、特にそれが激しい喜びを伴うことになり、その喜びを再度体験したいという欲求が生じ、読書体験を蓄積していく。

 また、継続して読むうちに言葉も蓄積され、それによってだんだん読むことが容易になってゆき、さらに言葉を習得していくということにも繋がる。

 本の中での様々な体験は感性と知性の両方から子どもの精神を鍛えるものとなる。愉快痛快のみならず、苦しみや我慢を知ることで人間らしい感性を身に付け、一方で考える力(思考力)、比べる力(比較力)、わかる力(認識力)、決める力(判断力)等、知性の働きと合わさって、その子なりの価値観が形成される。

 こうして人間的な成長をもたらし、やがて知らず知らずのうちに人格の形成に導く。ここに子どもの読書の意義がある。

 私の子ども時代の読書体験で印象に残っているのは、絵本「ペレのあたらしいふく」(ベスコフ,1976,福音館書店)である。主人公のペレは、素敵な一着を手に入れるために身近な人々と交渉を重ねてゆく。一見、非力な小さな子どもだが、自らの力で自分の欲しいものを手に入れてゆくペレに自分を重ね合わせ、ワクワクしたことを今でもはっきりと覚えている。大人になって振り返れば、その読書体験が私に「自尊心や誇り」とは何かを教えたのだと実感できる。それが現在の私のもつ価値観の一端を担っていることは間違いない。